"こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する
国民の祝日。
1948(昭和23)年7月公布・施行の祝日法によって制定された。"
1951(昭和26)年、子供の権利に関する宣言「児童憲章」が制定された。
1946(昭和21)年〜1948(昭和23)年。
この日が男の子の節句であることから。1949(昭和24)年からは「こどもの日」に引き継がれた。
邪気を払う為、菖蒲や蓬を軒に挿し、粽や柏餅を食べる。
「端」は物のはし、つまり「始り」という意味で、「午」は「五」に通じることから、元々「端午」は月の始めのの五の日のことだった。その中でも数字が重なる5月5日を「端午の節句」と呼ぶようになった。
日本ではこの日、男性は戸外に出払い、女性だけが家の中に閉じ蘢って田植えの前に身を清める神聖な儀式の日だった。
しかし、「菖蒲 」が「尚武 」と同じ読みであることから、鎌倉時代ごろから男の子の節句とされ、甲胄・武者人形等を飾り、庭前に鯉のぼりを立てて男の子の成長を祝うようになった。
東京玩具人形問屋協同組合が制定。
端午の節句に因み、おもちゃや人形のPRの為に設けられた。
日本わかめ協会が1983(昭和58)年に制定。
「こどもの日」に因み、子供の成長、発育に欠かせないミネラル、カルシウム等を含んだわかめをたくさん食べてもらおうと設けられた。また、この頃は新わかめの収穫時期でもある。
書籍取次の東販が制定。全国の書店でキャンペーンが行われる。
後藤田三朗さんの提唱で、日本デフ協会が2003年3月20日に制定。
手話が左右の五本指を使うことから。
自転車月間推進協議会が1998(平成10)年に制定。
自転車月間の中の祝日を自転車の日とした。
全国医薬品小売商業組合連合会が1987(昭和62)年に制定。
611(推古天皇19)年、推古天皇が大和の兎田野 で薬草を採取する薬狩りを催し、これから毎年この日を「薬日 」と定めたという故事に因む。
1997(平成9)年11月に上下両院で制定が可決され、翌1998(平成10)年から実施された。国家の記念日としてナチス・ドイツの犠牲者をいたむ日を制定したのは初めてだった。
1945(昭和20)年、ドイツの敗戦により、オーストリアにあったナチス最大の強制収容所「マウトハイゼン収容所」が解放された。オーストリアでは1938(昭和13)年のドイツ併合時から1945年の戦争終結までに、国内のユダヤ人やジプシー・反ナチス抵抗運動家・同性愛者等少なくとも65万人以上が殺された。
フィッシャー国民議会(下院)議長は、「ヒトラーのナチスがオーストリアに来た時多くの人は歓迎した。強制収容所のような犯罪を2度と繰り返してはならない。暴力と民族差別に対する記念日として、この日を将来に残そう」と制定を訴えた。